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東京地方裁判所 昭和32年(人)1号 判決 1957年2月16日

請求者 遠藤照夫

被拘束者 竹内良子

拘束者 竹内三郎 外一名 (いずれも仮名)

主文

請求者の請求を棄却する。

被拘束者を拘束者両名に引き渡す。

本件手続の費用は、請求者の負担とする。

事実

第一請求者の主張

(申立)

請求者代理人は、「被拘束者を釈放して、請求者に引き渡す」旨の判決を求め、その理由を次のとおり陳述した。

(理由)-(要旨)

一  被拘束者は、昭和二十六年一月一日、足立利男と拘束者等の二女亡竹内妙子との間に、嫡出でない子として生まれ、右足立によつて認知されたものである。

二  請求者は、アメリカ合衆国の国籍を有する者であるが、昭和二十六年、来日し、昭和二十七年秋、亡竹内妙子と将来結婚することを約して、同棲し、以後、被拘束者と同居し、同人を養育してきた。

三  拘束者等は、昭和三十二年一月十七日正午頃、東京都目黒区内柿の木坂において、折から請求者方女中北見里子に伴われて、柿の木坂幼稚園から帰宅の途にあつた被拘束者を、右女中の抵抗を排して、自動車に乗せて連れ去り、拘束者竹内三郎は、同日、碑文谷警察署人事相談部において、同日夕刻に被拘束者を請求者に引き渡す旨を誓約しながら、これを実行せず、拘束者等は、現在、その肩書住居に、被拘束者を監護拘束している。

四  拘束者等に被拘束者の養育、監護を任せることは、適当でない。すなわち、

(一) 拘束者等は、その実子である秋子、妙子(被拘束者の実母)の両女を、昭和十四年頃、当時満州国奉天市において、芸妓に売り(姉娘は、同地で死亡)、終戦後、内地に引き揚げてきたのちも、妹娘妙子を新橋花街から芸妓に出し、この間、右両女を虐待し、あるいは、両女を利用して他から奪取し、その稼ぎのみに依存して、無為徒食を続け、足立利男から、同人と右妙子の間に生れた竹内恒二(満八歳)及び被拘束者の二児のために、右妙子にあてて贈られた拘束者等の肩書住居地所在の家屋を、勝手に、拘束者三郎の所有名義に保存登記し、右妙子の死後も、被拘束者の受領すべき、妙子の生命保険金、あるいは、家屋の売却代金を、いち早く受領してしまつた。このように、拘束者等は、子供や孫を利用して、みずからの利益を図ろうとするものである。

(二) 拘束者等は、数年来、十名余りの妓女を雇い入れ、売春を目的とする接客業を営み、これによつて、生計を維持し、十分な資産をもたず、拘束者三郎は、児童に淫行をさせた罪により、児童福祉法違反として処罰されたことがある。

(三) 拘束者キクは、右妙子の死亡直後、その屍を殴打し、故人を侮辱するなど、非常識な行動が多い。

(四) 前記竹内恒二も、母妙子の意思に反し、拘束者等によつて、幼稚園の帰途を連れ去られたものである。

(五) 拘束者三郎は、被拘束者の後見人ではあるが、その後見人選任は、実父足立利男及び事実上の養育者である請求者の意見を聞かずに決定されたものであり、すでに被拘束者の親族立花政夫から右拘束者の後見人解任の申立もありこれを審理中の横浜家庭裁判所において、その辞任を勧告されているものであり、拘束者等の前記行状その他諸般の事情からすれば、被拘束者を自己の手中に留め置こうとするのは後見人の権利の濫用である。

五  これに引きかえ、請求者は、被拘束者を養育し、監護するのに最も適している。

すなわち、

(一) 請求者は、米国の大学を卒業し、昭和二十六年来日後、貿易業に従業し、現在、株式会社ウインオイル・カンパニー・オブ・ジヤパンの役員で、米国ペトロリアム・スペシヤルテイーズ社極東総支配人として、固定した収入が年間数百万円に及び日本国の内外に合計数千万円にのぼる資産を有し、米国にある妻との間は、別居手続をへて、昭和三十一年末、協議上の離婚話が成立し、妙子死亡後、被拘束者の養育のためもあつて、同年十月十七日妻として迎えた村井英子とは、早晩、正式に婚姻しようとしている。

(二) 請求者は、昭和二十七年秋、妙子と事実上夫婦となつて以来、約五年間、被拘束者と真の父子同様の生活をし、ことに、昭和二十九年、その肩書住居に転居してのちは、拘束者等の出入を差し止め、経済的に豊かな精神的に愛情に満ちた、幸福な生活を営んできた。右妙子は、昭和三十一年七月十日、死亡したが、その後も、また前記村井英子が、新しく妻となつたのちも、被拘束者は、請求者を実父と、前記英子を実母と思い込み、請求者夫妻の実父母にも劣らぬ温かい愛情のもとに、物質的にも何不自由なく、幸福な生活を営んできたのである。

(三) 請求者は、幼少の折から、実父母に育てられなかつたので、その生い立ちの似ているところからも、被拘束者を、みずから育てる宿命にあると考えている。

(四) 被拘束者の親権者であり、実母であつた妙子は、生前、被拘束者を請求者において養育することを希望していたし、これを委託していた。

(五) 被拘束者自身も、請求者に監護教育されることを希望し、拘束者等を、ひどく嫌つていた。

(六) 村井英子は、将来、実子が生れた場合でも、実子と同様に愛育することを、請求者に誓つている。

(七) 請求者は、ゆくゆくは、被拘束者と養子縁組をして、名実ともに、自分の子供として、自己の理想に従つて教育し、幸福な家庭を持たせるようにしたいと考えている。

六  被拘束者をめぐる争については、昭和三十一年中より今までに、拘束者等が請求者を相手方として、東京地方裁判所に人身保護請求事件(取下)及び幼児引渡請求訴訟事件(係属中)があり、また、東京家庭裁判所に幼児引渡調停事件(不調)があるほか、被拘束者の親族立花政夫の申立にかかる拘束者三郎の後見人解任申立事件が、横浜家庭裁判所に係属中である。

七  以上のように、被拘束者が、暴力によつて拘束者等に連れ去られ、以後、前記のように、養育監護をするに適しない事情にある拘束者等のもとに置かれることは甚だしい不幸というべきであり、請求者が被拘束者を養育監護するのが、最も適当であることは、前記の諸事情からも疑のないところであるから、請求者は、人身保護法にもとずき、被拘束者を、法律上正当な手続によらないで拘束している拘束者等のもとから釈放して、請求者への引渡を求めるため、本請求に及ぶものである。

第二拘束者等の主張

(申立)

拘束者両名代理人は、主文第一、二項両旨の判決を求め、その理由を次のように陳述した。

(理由)-(要旨)

一  請求者主張の事実中、

(一) 第一項の事実、

(二) 第二項の事実のうち、「請求者が、アメリカ合衆国の国籍を有し、昭和二十七年秋亡竹内妙子と同棲し、被拘束者と同居し同人を養育してきたこと」

(三) 第三項のうち、「拘束者等が、その主張の日時頃、その主張の場所において、折から幼稚園より帰宅の途にあつた被拘束者を自動車に乗せて、連れ去つたこと及び拘束者等が、現在、被拘束者をその肩書住所に留めていること、」

(四) 第四項のうち、「拘束者三郎が、被拘束者の後見人であること及び被拘束者の親族立花政夫から右拘束者の後見人解任の申立があり、これが横浜家庭裁判所において審理中であること」

(五) 第五項のうち、「請求者が、昭和三十一年十月十七日、村井英子と事実上夫婦となつたこと及び竹内妙子が昭和三十一年七月十日死亡したこと、」

(六) 第六項のうち、「請求者主張の期間に、請求者の主張するとおりの各事件が、その主張の当事者、裁判所で争われ、その主張のような進行状況にあること」

は、認めるが、その余の事実は、争う。

二  拘束者竹内三郎は、被拘束者の後見人として教育監護の権利を有し、拘束者両名は、被拘束者の実の祖父母であり、現在、被拘束者及び同人の兄竹内恒二を、十分な資力と愛情とをもつて日々平和裡に養育しており、被拘束者は、拘束者方で生れ、約四年間、拘束者等と共に生活したこともあり、同人等によくなついており、右恒二も、現在まで、拘束者等の監護養育により、幸福に成長してきている。拘束者等は、その直系卑属としては、被拘束者と右恒二の二名しかなく、将来とも、その両名を養育することを望んでいるのはもち論、右恒二及び被拘束者自身、その実父足立利男も、すべて、これを望んでいる。これに引きかえ請求者は、国籍をアメリカ合衆国に有し、妻子をその本国においたまま、単身来日しているもので、竹内妙子の死亡後、百日を経ないで、請求者の後添となつた村井英子も、芸妓出身であるうえ、被拘束者がなついていた請求者方女中小室ハナも、昭和三十一年十一月頃、請求者方を去つている現在では、何ら法律上教育、監護の権利を有しない請求者に被拘束者の養育を任せることはできない。請求者が、拘束者等の再三の請求にもかかわらず、被拘束者を引き渡さなかつたのは、愛情にもとずくものではなく、前記妙子が、右足立と別れて請求者と同棲するに際し、拘束者等が反対したことに対する意地によるものにほかならない。

三  以上のとおり、被拘束者は、拘束者等のもとに監護されていることによつて現在何ら、不当に人身の自由を奪われている点はなく、人身保護法第一条の法意からみて、被拘束者を拘束者等の手から去らせなければならい理由は、何もない。本件請求は失当である。

第三被拘束者代理人は、意見なしと述べた。

第四疏明関係

(請求者の疏明等)

請求者代理人は、甲第一号証から第七号証、第八、第九号証の各一、二、第十号証の一から三、第十一号証から第二十号証、第二十一号証の一から三、第二十二号証の一、二、第二十三号証の一から三、第二十四号証、第二十五号証の一、二、第二十六号証、第二十七号証から第四十三号証の各一、二、第四十四号証から第四十七号証、第四十八号証の一、二、第四十九号証及び第五十号証の一から六を提出し、証人足立利男、立花武利、小室ハナ及び泉カズの各証言並びに請求者本人尋問の結果を援用し、乙第五号証から第九号証の各成立は知らない、乙第十号証から第十四号証及び第二十四号証から第二十六号証が写真であることは認めるが、撮影年月日は知らない、その他の乙号各証の成立は、いずれも認めると述べた。

(拘束者等の疏明等)

拘束者等代理人は、乙第一号証から第二十六号証を提出し、証人小野寺宗雄、三浦哲次及び竹内敏雄の各証言並びに拘束者両名各本人尋問の結果を援用し、甲第八、第九号証の各一、二、第十号証の一から三、第十三号証、第十六号証から第十九号証、第二十一号証の一から三、第二十二号証の一、二、第二十三号証の一から三、第四十九号証の各成立は認める、甲第五十号証の一から六が写真であることは認めるがその撮影年月日は知らない、甲第二十六号証の原本の存在及びその成立並びに、その他の甲号各証の成立はいずれも知らないと述べた。

理由

(当事者間に争のない事実)

(一)  被拘束者が、昭和二十六年一月一日、足立利男と拘束者等の二女亡竹内妙子との間に、嫡出でない子として生まれ、右足立によつて認知されたこと。

(二)  請求者が、アメリカ合衆国の国籍を有し、昭和二十七年秋、亡竹内妙子と同棲し、以後、被拘束者と同居して同人を養育してきたこと、

(三)  拘束者竹内三郎は、被拘束者の後見人であり、その祖父であり、拘束者竹内キクは、被拘束者の祖母であること、

(四)  拘束者等が、昭和三十二年一月十七日正午頃、東京都目黒区内柿の木坂において、折から幼稚園より帰宅の途にあつた被拘束者を自動車に乗せて連れ去り、現在、同人を、その肩書住居において監護していること

は、いずれも当事者間に争がない。

(被拘束者が、拘束者等によつて、拘束されるまでの事情及びその拘束の状況)

成立に争のない甲第八 第九号証の各二、同第十号証の二、三同第十八、第十九号証、同第二十一号証の二、三、同第二十三号証の二、三、乙第二号証、同第十五号証から第二十三号証、請求者本人尋問の結果によりその成立を認め得る甲第二号証から第四号証、同第六号証、同第二十号証、同第二十四号証、拘束者竹内三郎本人尋問の結果により原本の存在及びその成立を認め得る甲第二十六号証、並びに証人足立利男、立花武利、小室ハナ及び三浦哲次の各証言並びに請求者拘束者両名各本人尋問の結果を綜合すれば、

(一)  請求者は、昭和二十六年来日したが、一旦、帰米し、翌二十七年再び日本へ来て、爾来、現在まで引き続き滞在し(但し、その間、短期間帰米したことはある)この間、昭和二十七年秋から、当時芸妓であつた竹内妙子(間もなく芸妓をやめた。)と事実上夫婦として、右妙子と足立利男との間に生れた竹内恒二及び被拘束者、拘束者両名と同居していたが間もなく、拘束者両名は別居し、更に、右恒二も拘束者両名方に引き取られ昭和二十九年秋、請求者は現住所に転居し、間もなく、右妙子及び被拘束者も、請求者方に居住することとなり、以後は、拘束者両名との往き来を避けて、物質的にも、精神的にも、不自由のない家庭生活を営んでいたところ、昭和三十一年七月十日右妙子が急に病死したため(このことは当事者間に争がない。)請求者は被拘束者の養育のこともあつて、同年十月十七日、花柳界出身の村井英子(満二十三歳)と事実上夫婦となり、その後も、十分な経済力と愛情とをもつて、被拘束者を養育してきたが、昭和三十二年一月十七日正午頃前に説示したような状況において、拘束者両名が、請求者の手許から被拘束者を連れ去つたこと、

(二)  請求者は、現在、一定の職業と安定した経済力を持ち、村井英子と共に、被拘束者を愛育していく相当強い意思があるが、米国に、十九歳位の子供と妻があり、右妻とは、目下、離婚のための法律上の手続が残つており、また、拘束者やすよが後見人である現在、その解任又は辞任を待たなければ、被拘束者に対して法律上の教育、監護の権利を取得することができない事情にあること、

(三)  拘束者三郎は、前示のとおり、後見人として被拘束者を教育監護する権利を有し、拘束者くまちは、右三郎の妻であり、いずれも、被拘束者と血のつながりがあり、現に、被拘束者を深い愛情をもつて平穏に教育監護をしており、その経済状態も右教育監護に事欠くようなものではなく、また、被拘束者の兄竹内恒二(満八歳)も、拘束者両名方に、まず不自由のない状態で養育されていること、

(四)  拘束者等は、川崎市の特飲街にある肩書住所において特飲店を経営しており、被拘束者のように幼い者が養育される環境としては好ましからざるものであり、また、拘束者三郎は、児童福祉法違反によつて罰金刑に処せられたこともあるが、近く、特飲店を廃業して、他に転業すべきことを誓つており、現在及び近い将来、被拘束者を利用して自己の金銭的な利慾を満そうとか同人を芸娼妓にする意図のために養育し、あるいは、これらの意図の実現のため請求者の手許から被拘束者を連れ去つたわけではないこと、

(五)  被拘束者は最近まで、請求者を実父のように慕つて生活してきたものではあるが、昭和二十九年秋頃までは、拘束者とも、あるいは同居し、あるいは頻繁に往き来をしており、現在も、祖父母である拘束者両名によくなつき、兄恒二とともに無心に、平穏な日々を送つていること、

が一応、認められ、右一応の認定に反する甲第一号証から第五号証の各記載部分並びに証人立花武利及び請求者本人の各供述部分は、にわかに措信することができないし、他に、これを覆えするに足りる疏明はない。

(当裁判所の判断)

以上説示した事実関係のもとにおいては、拘束者三郎は、被拘束者を教育し、監護する法律上の権利を有し、拘束者等が、被拘束者をその膝下に置くことは、現に、法律上正当でない手続により不当に被拘束者の自由を拘束するものとはいえないし、右のほかに、被拘束者が拘束者等によつて、後見人の権利を濫用して現に「権限なしにされ、あるいは、法令の定める方式若くは手続に著しく違反していることが顕著である。」拘束を受け、あるいは、その自由を実質的に不当に奪われていると認むベき何等の疏明資料はない。

拘束者等が、前説示のように、請求者のもとから被拘束者を実力をもつて奪い去つたことは、たとえ、それが拘束者等の供述するように、被拘束者に対するやみがたい愛情に出たものとしてもその手段において甚だしく穏当を欠き、十分非難されるに値することであることは、あえて多言を要しないところというべきであろうが、前に説示したとおり、被拘束者が、現在、後見人である祖父及び祖母のもとに、その幼い兄恒二とともに平穏に、物質的にもさしたる不自由もなく、骨肉の愛情(いささか盲愛の感はあるが、)をもつて養育されている状態にある以上、いまただちに被拘束者を祖父母のもとから取り上げることは、非常、応急の措置を定めた人身保護法によつてすべき限界を超えるものというべく、被拘束者を何人よつて教育、監護させることが、最も適当であるかの問題は、関係者が望むならば、おのずから、別個の手続によつて、その解決を待つべきものといわなければならない。

(むすび)

よつて、請求者の本件請求は、理由がないものと認められるから、これを棄却し、被拘束者を拘束者両名に引き渡すこととし、本件手続費用の負担について、人身保護法第十七条及び民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 松永信和 柳川俊一)

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